二十四節気の冬至に見る自生地

冬至は太陽復活の日、中国では一陽来復の日とされます

2009年12月22日(火)

富士山
冬至の今日、朝は冷え込むが日中はこの2〜3日より暖かくなるとの予報だった。
別に清少納言の「冬はつとめて」に同感した訳ではないが、朝6時45分に家を出た。明るくはなっていたが 完全に明るくなったのは7時頃だった。自転車をゆっくり走らせたが、手袋をしても指は冷たく、顔にあたる空気の冷たさで自然 に涙が出てきた。
朝日に輝く富士山と青く連なる山並みが新鮮だった。
ゴルフ場のフェアウェイの芝も霜で白く化粧しているようです

自生地枯葎
サクラソウ自生地は枯葎や観察路の落ち葉や草にもうっすらと霜が降りていた。ユウガギクなどの枯れ姿 にも霜がついて、「霜のいと白きも、またさらで」の感じだった。

冬至は日中が一番短いので太陽の最も衰える日とも、この日を境に日一日と昼が長くなるので太陽が 復活する日ともいわれる。
昇りかけた太陽が遠くのヨシや手前の高くなった柵に絡みついたつる草の枯れ姿を照らしています。太 陽の位置が低いので黒く見える真中のセンニンソウなどの蔓植物は霜が降りたままです。

太陽が昇り、厳しい朝の寒さが和らぐかと思いながら観察路を歩いていると、突然あたりが陰り始めた。 太陽が厚い雲間に入ってしまったのだ。どんよりした大きな雲の層で一転して周囲が寒々とした枯景色に変わった。「太陽が衰 えた」まさにそんな感じだった。
太陽が衰える 太陽の復活
太陽が厚い雲の中に隠されました 将に一陽来復で辺りは明るく広がりました
完全に陽射しが戻ったのは小一時間ほどしてからだった。次第に明るくなり暖かささえ戻ってきたその時 は将に一陽来復そのものだった。陽の光の素晴らしさと偉大さを実感させられた瞬間だった。

観察路 霜で白くなった落葉
鴨川側の観察路の入口。だいぶ広くなりました 中央付近の観察路を埋め尽くしたクヌギの落ち葉

防寒はしていたので震えるような事は無かったが、帰ろうとした時には両手は殆ど感覚が無くなってい た。でも明るい陽射しに気持ちのいい朝を実感しながら自生地を後にした。

冬至(とうじ):12月21日頃(09年は22日)。陽光が最も弱く昼間の最も短い日。中国では太陽の運行の起点と 考えられた。日本では昔から柚湯に入り冬至粥を食べる習わしがあったようだが、現代では冬至粥はあまり食べなくなり、柚湯 の風習のみが残っているようだ。