二十四節気の白露に見る田島ヶ原サクラソウ自生地

今年はツルフジバカマの当たり年のようです

2017年9月7日(木)

白露の朝は青空ものぞき爽やかだったが、次第に雲が厚くなり時折雨がぱらつくハッキリしない空模様の一日になった。
6時30分頃に着いた自生地では鮮やかな紅紫色の ツルフジバカマと真っ白なセンニンソウ、そして全域で見ら れるようになったキンミズヒキの黄色が迎えてくれた。今年は ツルフジバカマの当たり年のようだ。
ツルフジバカマたち
ツルフジバカマ花
花の先端の舷部と筒になった爪部の長さが同じなのは、ツルフジバカマとクサフジの在来種共通の特徴。外来種のナヨクサフジなどは 爪部が長く、花柄が萼の下に付くが在来種は後ろに付く。
ツルフジバカマの托葉は硬くて大きく切れ込んでいる。
ツルフジバカマ托葉

ツルマメやヤブツルアズキ、一部ではメドハギやママコノシリヌグイそしてナンバンギセルがが見られるようになった。ノブドウやヘクソ カズラは果実をつけコバギボウシもまだ見られる。
ツルマメ ヤブツルアズキ
ツルマメはマメ科ダイズ属の一年草。別名ノマメ ヤブツルアズキはマメ科ササゲ属の一年草
ナンバンギセル メドハギ
ススキなどに寄生するハマウツボ科のナンバンギセル 茎を占いのメドギに用いたのが名の由来のメドハギ

キタテハの幼虫
今年はいつもの所にウマノスズクサが生育していないのでジャコウアゲハが少ない。と思いながら目線を走らせるとキタテハの幼虫が葉 裏に付いていた。
触ったらいかにも痛そうな棘だらけの強そうな幼虫だ。でも、棘はゴムのようで少しも痛くないという。キタテハは成虫で越冬し春まだ 浅い時から自生地を飛ぶ訪花昆虫の一種で、幼虫の食草はカナムグラだ。
サツマノミダマシ
鮮やかな緑色の蜘蛛が葉の上にいた。特徴的なクモで名前は調べればすぐわかるだろうと思った。
クモハンドブックを見るとすぐにあった。でも、上にサツマノミダマシ、下にワキグロサツマノミダマシとあり、コガネグモ科の中型の クモで大きさも分布、生育地も大差ない。唯一の違いは腹部は背面・腹面とも鮮やかな緑と腹部の前部と腹面は褐色という事だけだ。しかも同一場所で2種を 見る事も珍しくないとある。
これには参った。前方からは撮ったがひっくり返してまでは見ていない。結局、ワキグロは頭胸部や歩脚もやや褐色が濃いを唯一の違い として今回はサツマノミダマシとした。
その上名前の長さはどうだ。どこで区切ったらいいのかも不明だ。ネットで見ると薩摩の実騙しと漢字表記がありようやく区切り方は分 かった。ワキグロも脇黒とあった。
でも、薩摩の実とは何だ?「和名は、その姿がハゼノキの果実に似ており、これが京都府や福井県の一部で「サツマの実」と呼ばれるこ とから名付けられた。」(ウィキペディア)とあった。
でもがまた続く。どうしてハゼの実がサツマの実と呼ばれたのかの疑問が当然湧いてくる。
ハゼノキはウルシ科の落葉高木でリュキュウハゼ、ロウノキの別名がある。ウルシが中国、インド原産のようにハゼノキも東南 アジアの温暖な地に自生し琉球経由で薩摩に持ち込まれ、九州一円から本州に広がったのでサツマの実の別名が付いたようだ。
取り敢えず一件落着だが、次回こそサツマノミダマシとワキグロサツマノミダマシをハッキリ同定しよう。

9月2日から埼玉県環境科学国際センターの彩の国環境大学の実践課程の5回の講義が始まった。
第一回の講義の後、鴻巣駅から徒歩7〜8分の勝願寺に1629年(寛永6年)に荒川の瀬替えを行なった伊奈忠治の墓所を訪ねた。
伊奈忠次・忠治の墓
駅からの道はいきなりお墓に入る小道に通じ、本堂や仁王門、山門は後から訪ねる事になってしまった。
仁王門
上は徳川家康から勝願寺の檀那になるのを命じられた伊奈家の伊奈忠次・忠治夫妻の墓所。埼玉県指定史跡。
右は将軍家の家紋 三つ葉葵の使用を許可された仁王門だが現在の門は大正9年に再建。
広大な寺社領は徳川家康の庇護を受け江戸時代に繁栄しただろうとの面影を漂わせていたが、明治の2大厄災で全ての建物、仏像を失って しまい、重文などは一つも無い。それ故だろうか寂れた雰囲気が漂っていたのは残念だった。

白露(はくろ):普通なら日中の暑さはあってもそろそろ夜の秋の季節なのだろうが、どうもあまりハッキリしない天候続きの毎日だ。この 日も次第に雲が多くなり、夕方から夜にかけては雨になってしまった。  2017年9月15日作成